これで入場無料とは

気が付けば、もう10月も終わり。
今年も残すところあと2ヶ月ですよ。

それなのに、本館の方は今年もほとんど更新らしい更新をしないまま現在に至るわけですが。
この日記も、最近は月一更新だし・・・

「とりあえず、ネタになりそうなところにでも行ってみるか」と思い立った私は、ちょっと前に稲刈りの合間をみて、登米市歴史博物館に行って来ました。

というのも、この博物館では現在「仙北鐵道-駅舎と車輌と-」という企画展を開催していまして、以前から気にはなっていたものの、なかなか訪れる機会を作れずにズルズルと引き伸ばしてきたのでした。
それもこれも、みなすべて私の腰の重さが一番の原因なわけですが。

私はそんなに鉄道については詳しくはないのですが、いざ展示されている品々や写真を見ると、これが実に興味深いものでした。

車両竣工図や行先票、切符や改札口、駅で使われていた金庫や駅舎の窓、さらには駅舎の中に奉られていた神棚などなど、よく残っていたなぁと感心することしきりでした。

さらには、
「今バス停になっているあの場所は、かつて駅だったのか」とか、
「スイッチバックの駅まであったのか!」とか、
あらためて知らされることも多く、あっという間に時間は過ぎていきました。

その間にも、多くの人々がこの展示を見に訪れていました。
かつてこの鉄道を利用していたような年配の方から、鉄道好きの子供たちまで、それはそれは幅広い年代層でした。
そういえば、署名帳には首都圏や関西から来た人たちの名前も。
鉄道ファン、恐るべし。

その中に、中学生くらいの女の子2人組がいました。
今時の中学生っぽい感じで、「この帽子カワイイね~♪」「あ、ここウチの近く!」などと賑やかに展示物を見ていたのですが、ある写真の前で立ち止まると、急に静かになってその写真に見入っていました。

それは、2年前に取り壊された登米駅の写真でした。

「なんで壊しちゃったんだろうね」
「なんか、もったいないよね・・・」

それまでのはしゃぎようとは一転、しんみりとした口調でつぶやいていました。

登米駅は、仙北鐵道が廃止された後もバス会社に引き継がれていました。
彼女たちも、バスターミナルとなった登米駅を利用していたのでしょうか。

時代を超え、姿を変え、多く人たちに利用されていた仙北鐵道の企画展は、11月23日(月)までです。

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偶然の遭遇

ちょっと前に訪れた、栗原市金成姉歯にある瑞満寺。

近隣の城跡を探して車でウロウロしていたら、いつの間にか着いていました。
境内に入ってすぐの所に、姉歯武之進の墓が。

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上の写真の真ん中が姉歯の墓。
その左右には、姉歯とともに戦死した家臣・千葉松治(左)と日下勇(右)の墓石が。

そして、右端の石碑は『仙台藩軍監烈士姉歯武之進顕彰碑』。
左端の横長の黒い石板は『仙台藩藩士姉歯武之進の略歴』。

このときはお寺で仏前結婚式が行われていたため早々に切り上げましたが、また今度ゆっくり訪れてみたいなぁ。

たまには迷子になってみるもんですね。

【姉歯武之進】
戊辰戦争の際、仙台藩・瀬上主膳隊の軍監兼小隊長として活躍。
奥羽鎮撫総督府下参謀の長州藩士・世良修蔵を捕縛・斬首したことでも知られる。
その後、東北戦争の中でも屈指の激戦といわれる白河口の戦いにおいて戦死。
享年二十五歳。

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8月も10日を過ぎて

こちらは相変わらずぐずついた天気が続いています。
気温は低めなのですが、湿気が多いので不快指数は高いです。
天気予報によると、今年は宮城県では梅雨明けはなかったそうです。
そっか、もう暦の上では秋なんだ。

そんな天気の悪い日が続いていますが、ほんの少しの晴れ間を見つけては、ボチボチ史跡を巡っています。

7月の終わり頃、登米市豊里町の辺りをふらふらとしていました。

香林寺の周辺にある城館跡をいくつか回った後に、再び香林寺に戻ってきました。

「そういえば、ここの境内には『戊辰役戦没者之塔』があったよなぁ」と思い出し、久々に訪れてみました。

前に訪れた時にメモし忘れていたのですが、この塔の建立日は昭和45年7月18日。
今年の春に訪れた、石巻市相野谷の八幡神社にある「仙台藩士 戊辰戦没之碑」の建立日は、昭和43年10月。

2年の違いはあるけれども、ほぼ同時期。
ということは、香林寺の塔も戊辰戦争百年目と何らかの関係があるのかなぁ・・・
と、いろいろと想像してみるものの、それ以上は分からずじまいでした。

まぁ、お寺の方に聞けばすぐ分かるのかもしれませんが、何分にも小心者の人見知りゆえ・・・

【おまけ】
香林寺にて。
なぜあなた方がここに!?
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追悼文

今月13日の三沢光晴選手(NOAH)、そして15日のテッド・タナベ氏(大阪プロレス・レフェリー)の相次ぐ訃報のショックから、ようやく立ち直りつつあります。

もっと早くに追悼文を書きたかったのですが、パソコンの前に座ると何を書いていいのか分からずに、結局動画サイトで在りし日の故人らを偲ぶという日々が続いていました。

まだちょっと心の整理がつかないでいますが、この辺で一旦区切りをつけるために、この文章を書いています。

そういえば今から9年前、当時新日本プロレスに所属していた福田雅一選手の訃報についての文を書きました。
あの時「もう二度とこんな思いはしたくない」との願いをこめてキーボードを打ったのですが・・・

私が笑顔でプロレスを見られるようになるには、もう少し時間が必要なようです。

あらためまして、心からのお悔やみを申し上げます。

合掌。

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暖かくなってきたので

相変わらずサイトの方は更新が滞っておりますが、その間もちょこちょこと史跡を巡っています。
で、最近立て続けに幕末関係の史跡を訪れる機会があったので、忘れないうちにこっちの方を更新。

Dsc04011 .まずは、石巻市相野谷の八幡神社にある「仙台藩士 戊辰戦没之碑」。
訪れたのは、確か2月の末だったような。
碑の文面を読んでみると、明治維新から百年目にあたる昭和43年に建てられたとのこと。
「何ゆえ、ここに幕末関係の碑が?」
と思っていたら、この神社のすぐそばに、かつてこの地を治めていた大立目氏の廟所がありました。
大立目氏といえば、真っ先に思いついたのが武藤鬼一のところで出てきた大立目武蔵。
珍しい苗字だし、もしかしてなんらかの関係が・・・?
今後の調査対象の一つに入れておきます。

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Dsc04732 .次に、石巻市桃浦の洞仙寺にある中井初次郎の墓。
3月の末に訪問。
幕末の頃、榎本武揚率いる旧幕府艦隊の軍艦・開陽丸に乗船していた彼は、帯剣をも許されるほどの優れた水主でしたが、蝦夷地に向かう途中で病死し、この地に葬られました。
彼の出身地は、戦国時代に塩飽水軍の本拠地として知られた塩飽諸島のひとつである広島。
そんな海の民の末裔である彼に相応しく、石巻湾を間近に見るこの寺で眠りについています。.

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Dsc05324_4Dsc05333_5.次は涌谷城址内にある「戊辰戦没諸士招魂碑」(左)と「西南戦死碑」(右)。
こちらはGW中の訪問。
「戊辰~」の裏には、戦没者の氏名・出身地とともに「秋田口」や「白川口(原文ママ。白河口か?)」などの地名も。
おそらくは、彼らが戦死した場所なのでしょうね。
涌谷城は県内でも有名な観光地ですが、その一角にひっそりと建っていました。

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サイトの方も、そろそろ本格的に更新したいんですけどねぇ。
とりあえず、たまっている城データだけでもなんとか・・・

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さてさて

気が付けば、もう4月も末日ですか。
ついこの間、新年度になったばかりと思っていたら・・・

で、相も変わらず更新が遅々として進んでいないわけですが。

せめて日記だけでも書こうかと思っていても、いざパソコンの前に座るとニコニコ動画とか見始めてるし。
そのまま2時間くらい経ってるし。
もう基本的にダメですね。大人として。

とりあえず、サイトの方もいろいろと更新準備をしている最中ですので、今しばらくお待ちください。

では、これから田植えの準備に行ってきます。

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そういえば

昨日で酔牛庵も9周年を迎えました。
これもひとえに皆さまのおかげです。
ありがとうございます。
いやもうほんとに。

サイト開設以来ほとんどデザインが変わってないので、そろそろリニューアルしたいなぁと思いつつはや数年。
今年あたりはいろいろと変えてみたいと画策しています。

とか言いつつ、いつも気付けば年末になっているのですが・・・

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そうだ、野蒜築港に行こう

今年に入って一度も日記を更新をしないまま、とうとう2月も最終日になってしまいました。

えぇ、仕事です。
ずっと仕事です。

それでも、時間を見つけてはいろいろな史跡に足を伸ばしてました。

で、昨年の暮れの良く晴れた日曜日。
仙台から自宅に戻る途中、野蒜築港跡に立ち寄りました。

野蒜築港跡の詳しい説明につきましては、こちらをご覧ください。
(「野蒜築港資料室」のサイト)

いままで何度か立ち寄ったことはあるものの、いつも時間がなくて、サラッと流した感じで終わっていました。
しかしこの日は時間にも余裕があり、さらに天気もよく暖かかったということもあって、じっくり見学しようと思い立ったのです。

まずは資料館で下調べ。
このときいた見学者は私だけ。
細かい説明を受けられた上に、野蒜築港に関するビデオまで見させていただきました。
ありがとうございました。

次に、係員さんから紹介された突堤へ。

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この日は風が強く波が高かったため、海岸は多くのサーファーで賑わっていました。
が、釣り人にとってはあまりコンディションがよくなかったようで。

続いて、鳴瀬大橋をぐるっと回って野蒜築港跡へ。

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新鳴瀬川は、現在は土手や道路で遮られていますが、かつてはすぐ東側を流れる鳴瀬川まで繋がっていてました。
そのため野蒜築港は島のようになっており、港に渡るために3つの橋が架けられました。

下の写真は、右から上の橋・中の橋・下の橋。Dsc02942_2Dsc02998_2
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下の写真は、下の橋の一部拡大図。
煉瓦をうまく使ったデザインが秀逸です。
こういう個所にも手を抜かないところに、明治の心意気を感じさせます。
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市街地跡。
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今はもう当時を偲ばせるようなものは何もなく、石碑と案内板と当時の土木工事で使われたローラーだけが、かつての繁栄を伝えるのみ。
先ほどの資料館で係員さんが説明していた際につぶやいた、
「野蒜築港が計画された頃の日本は、土木技術・気象観測・経済など、あらゆる面で未熟でした。台風で壊れなくても、いずれはどこかで破綻してしまう事業だったのかもしれませんね」
の言葉が、この風景を見ているとやけに重く感じました。

野蒜測候所跡。
Dsc02909 .

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野蒜築港の建設と同時に設けられた測候所の跡地。
碑の脇にあるのは煉瓦造りの柱状の遺構。
一説には観測機器を乗せていたとも。
港は陽の目を見ることはできませんでしたが、測候所はその後も機能し続け、現在の石巻測候所へと受け継がれていきました。

野蒜築港記念碑。
Dsc03001 .

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ここから見る突堤もまた壮観。

と、この辺で時間切れ。
やっぱり史跡はじっくり時間をかけて見るのが一番ですね。
今度はもっと暖かくなってから訪れてみようと思いました。
お弁当でも持って、ゆっくりと。

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謹んで哀悼の意を

【紫桃正隆氏が死去 郷土史研究で河北文化賞】(河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/news/2008/12/20081209t13035.htm

今日は仕事で早出だったので、家に帰ってきてから新聞を読んで初めて氏の訃報を知りました。

去年まで新聞上で連載もされていたのですが、その頃にはすでに病床の身だったのでしょうね。
氏が手がけられた数多くの著書は、当「酔牛庵」でも大変参考にさせていただきました。

特に、1,000個所以上もあると言われる仙台領内の城館跡を訪ね歩き、その記録を事細かにまとめあげた「資料 仙台領内古城・館 第一~四巻」を初めて目にしたときの衝撃は、今も忘れてはいません。

あと、この新聞記事に関して突っ込ませてもらうと、
「伊達家の陰に隠れて目立たなかった大崎地方の有力大名葛西氏の盛衰に注目」とあるけど、
葛西氏は宮城県西部の大崎地方がメインの大名じゃないだろ、と。
どっちかっていうと宮城県東部~岩手県南部が本拠地だろう、と。
大崎地方には大崎氏がいただろう、と。

っつーか、『目立たなかった』とかって言うな。
まがりなりにも葛西氏は400年近くもこの地に君臨していたんだぞ。
そりゃ確かに全国的にみればマイナーだけどさ(涙)

でも地元紙がそんなこと言ってると、紫桃さんに怒られるぞ。

ともあれ、紫桃さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、長い間郷土史研究に尽力された氏の功績に対し、あらためてお礼を申し上げる次第です。

本当にありがとうございました。

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とある晩秋の一日

昨日、久々に城巡りをしてきました。

前日までの大雨が嘘のように、朝から雲一つない快晴。
絶好の城攻め日和。
今回は北上川下流~河口にかけての山城を中心に。

途中、とある山城に立ち寄ったときのことでした。
標柱の写真を撮っていたら、脇を流れる小川からバシャバシャと音がしました。

なんだろうと思って下を見ると、そこには数匹の鮭が。
どうやら産卵のために溯上してきたもののようでした。

鮭が上ってきたその川は、北上川の支流のそのまた支流。
大人なら一跨ぎで飛び越せるほどの小さな川でした。

そんな小さな川に、大海原をはるばる回遊してきて、ボロボロになりながらもようやく戻ってきたんだなぁ。
すげーな、鮭。
そんなことを考えながら、しばらく水面を眺めていました。

早いもので明日から12月。
雪が積もるまでに、あとどれだけ城を回れるかなぁ。

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