そうだ、野蒜築港に行こう
今年に入って一度も日記を更新をしないまま、とうとう2月も最終日になってしまいました。
えぇ、仕事です。
ずっと仕事です。
それでも、時間を見つけてはいろいろな史跡に足を伸ばしてました。
で、昨年の暮れの良く晴れた日曜日。
仙台から自宅に戻る途中、野蒜築港跡に立ち寄りました。
野蒜築港跡の詳しい説明につきましては、こちらをご覧ください。
(「野蒜築港資料室」のサイト)
いままで何度か立ち寄ったことはあるものの、いつも時間がなくて、サラッと流した感じで終わっていました。
しかしこの日は時間にも余裕があり、さらに天気もよく暖かかったということもあって、じっくり見学しようと思い立ったのです。
まずは資料館で下調べ。
このときいた見学者は私だけ。
細かい説明を受けられた上に、野蒜築港に関するビデオまで見させていただきました。
ありがとうございました。
次に、係員さんから紹介された突堤へ。
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この日は風が強く波が高かったため、海岸は多くのサーファーで賑わっていました。
が、釣り人にとってはあまりコンディションがよくなかったようで。
続いて、鳴瀬大橋をぐるっと回って野蒜築港跡へ。
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新鳴瀬川は、現在は土手や道路で遮られていますが、かつてはすぐ東側を流れる鳴瀬川まで繋がっていてました。
そのため野蒜築港は島のようになっており、港に渡るために3つの橋が架けられました。
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下の写真は、下の橋の一部拡大図。
煉瓦をうまく使ったデザインが秀逸です。
こういう個所にも手を抜かないところに、明治の心意気を感じさせます。
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今はもう当時を偲ばせるようなものは何もなく、石碑と案内板と当時の土木工事で使われたローラーだけが、かつての繁栄を伝えるのみ。
先ほどの資料館で係員さんが説明していた際につぶやいた、
「野蒜築港が計画された頃の日本は、土木技術・気象観測・経済など、あらゆる面で未熟でした。台風で壊れなくても、いずれはどこかで破綻してしまう事業だったのかもしれませんね」
の言葉が、この風景を見ているとやけに重く感じました。
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野蒜築港の建設と同時に設けられた測候所の跡地。
碑の脇にあるのは煉瓦造りの柱状の遺構。
一説には観測機器を乗せていたとも。
港は陽の目を見ることはできませんでしたが、測候所はその後も機能し続け、現在の石巻測候所へと受け継がれていきました。
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ここから見る突堤もまた壮観。
と、この辺で時間切れ。
やっぱり史跡はじっくり時間をかけて見るのが一番ですね。
今度はもっと暖かくなってから訪れてみようと思いました。
お弁当でも持って、ゆっくりと。
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