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銀杏の木も残った

相も変わらず猛暑が続いている今日この頃。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
私はかなりダメです。

ここしばらく更新が滞っておりました。
暑さと忙しさにすっかりやられていました。

気が付けば8月はとっくに過ぎて、もはや9月。
このままだと、本格的に涼しくなるまで更新しないことになりそうなので、今年の6月初めに登米市東和町米谷にある東陽寺に行ってきたときの訪問記などを書いてみます。

東陽寺は震災前に改修工事をしており、工事が終わったら行ってみたいなと思っていたのですが、震災でそれどころではなくなっていました。
今回は、ほぼ10年ぶりの訪問でした。

駐車場に車を停めて、いざ参拝。
Dsc07367_4

山門。
なかなかの風格です。
Dsc07368

山門を本堂側から見たところ。
この日は初夏の日差しが厳しかったのですが、ここはどことなく涼しげ。
Dsc07397

鐘楼門。
かつての原田家の所領である船岡から、ここ米谷に東陽寺を移転した頃に建てられたそうです。
文化十三(1816)年に起きた火事の際も無事だったとのこと。
かつては、原田甲斐の首桶を隠して運んだと云われる梵鐘がありましたが、太平洋戦争の際に供出されてしまいました。
Dsc07396

この門の隣に、新たに建てられた鐘楼があり、そこには復元された二代目の梵鐘があります。
Dsc07393_2

本堂。
新しく立派になりました。
Dsc07392

そしていよいよ今回のメイン。

本堂の裏に回ると・・・

ありました、原田甲斐の首塚。

後ろにそびえ立つのは、原田甲斐の首を埋葬した目印と云われる「東陽寺の大銀杏」。
そしてこの銀杏、枝が乳のように垂れ下がっていることから「乳銀杏」といわれ、乳の出が良くなるようにと、古くからお母さん方が祈願していました。
Dsc07388

至近から見た原田甲斐の首塚。
伊達騒動の中心人物である甲斐の評価は、地元・宮城県内でもまちまち。
ここ東陽寺では、忠臣説をとっています。
Dsc07376

この翌日、仙台市博物館でやっていた企画展「仙台藩の御家騒動―寛文事件を追いかけろ!」を見に行きました。
影響されやすいですね(^^;

おまけ。
鐘楼門の脇で、暑さでダウン中。
Dsc07395_2

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コメント

ブログ「野に棲む日々」管理人さま

初めまして。さいたま市の奥と申します。
本職は小児科の医師で、乳信仰について各地に残る情報を調べて、助産師向けの専門誌に小さな紹介記事を連載しております。貴サイト下記記事で、東陽寺の乳銀杏に乳信仰があるとの記載を見つけて喜んでおります。
「銀杏の木も残った」(2012年9月4日記事)
http://nonisumuhibi.cocolog-nifty.com/suigyuan/2012/09/post-83b7.html
「・・・乳の出が良くなるようにと、古くからお母さん方が祈願していました。」
実は登米市教育委員会に問い合わせてみたのですが、乳信仰の根拠となる資料は見つけられなかった、との回答でした。ぜひ、出典・根拠についての情報をいただければ幸いに存じます。
奥 起久子 qwt06700@nifty.com
〒331-0063  さいたま市西区プラザ91−1

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