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白石探訪記(その1)

11月も半ばとなり、今年も残すところあと一ヶ月と少し。
本格的な冬も間近ですねぇ。

・・・と思ったらいてもたってもおられず、先日、突発的に史跡めぐりに行ってきました。

どうせ行くならちょっと遠くまでと思い、行った先は白石市。
まだ日の登らない朝の5時半に家を出で、車を走らせること約3時間。
最初の目的地である孝子堂に来ました。


【孝子堂】
江戸時代、武士に父親を手討ちにされた二人の娘が、仇を取るべく修行のために江戸に出て、由井正雪の元で姉のまちは鎖鎌、妹のおそのは薙刀をそれぞれ学び、白石に戻ってきて見事本懐を遂げるという顛末です。
この話は、のちに「碁太平記白石噺」「奥州白石噺」などの芝居の題目にもなりました。
その姉妹と父を祀ったのが、この孝子堂です。

石段を登って本堂に向かいます。
Dsc00422

左に建っているのは、徳富蘇峰の書による標柱です。
Dsc00426

こちらが本堂。
Dsc00428
守護仏は弁財天です。

孝子堂の前には、土井晩翠の歌碑と「孝女宮城野信夫父之碑」。
Dsc00432
「宮城野」「信夫」は、芝居の中でのまちとおそのの名前です。

ここで次の目的地に移動しようと思ったら、そばにあった案内板に「三沢城跡」の文字が。
城跡とあれば行かぬ訳にはまいりません。
ということで、急遽予定を変更して寄り道。


【大聖寺(三沢城跡)】
三沢城跡は大聖寺というお寺のそばにあるということで、それを目指して山の方へ向かって行きます。
だんだん道が細くなっていき、少々心細かったのですが、道の脇にお寺の看板が。
そして辿り着きました、大聖寺。
Dsc00444

詳細は、いずれ征服攻城委員会の方で。

境内にあった「訪問の樹」。
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旧仙台陸軍飛行学校幹部候補生八州隊有志の方々によるものです。


【傑山寺】
市街地にやってきて、まず訪れたのは傑山寺。
傑山寺本堂と片倉小十郎景綱の銅像。
Dsc00520

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以前来たときは、この銅像はありませんでした。
男前ですね、小十郎さん。

実はここ、5年ほど前に一度訪れているのです。
というのも、こちらのお寺には新選組隊士・久米部正親のお墓があるというので、お参りに来たのです。
しかし、その時はお墓の場所が分からずに、広大な墓地を延々と彷徨う羽目になってしまいました。
なので、今回はリベンジです!

・・・とはいうものの、事前にネットで調べても具体的なお墓の位置は分からず、結局お墓とその周囲の様子が写った画像だけを頼りに探すことに。

その途中で訪れた、様々な方のお墓を以下に。

[松前家の墓]
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松前安廣と松前家の墓所。
初代松前藩主・松前慶広の五男である安廣のお墓がなぜここにあるのか、その訳はここに(傑山寺HPへのリンク)。
自由だな、安廣さん(笑)

[片倉家墓所]
Dsc00515
片倉家歴代藩主のお墓があります。
小十郎景綱のお墓はまた別の所に。

[片倉小十郎景綱の墓]
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墓は墓石ではなくこの杉の木。
見上げるほどの立派な大木です。
これは、敵にあばかれないように、あえて石ではなく杉の木を墓標にしたといわれています。

[佐藤孝郷の墓]
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十九歳の若さで片倉家の家老を務めたほどの人物ですが、戊辰戦争後は北海道に移住して開拓に尽力しました。
後に、初代・札幌区長になった方です。

[駆逐艦曙戦歿者慰霊碑][海軍少佐従六位勲五等岩淵成忠之碑]
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太平洋戦争時、駆逐艦・曙の砲術長をしていた岩淵少佐と、曙の乗組員の慰霊碑。
碑の裏側にある岩淵少佐の略歴を見ると、曙だけではなく航空母艦・翔鶴や練習艦・八雲にも乗っていたんですね。

[初代谷風の墓]
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江戸時代の大横綱、第四代横綱・谷風梶之助の墓。
仙台市民には、勾当台公園の銅像でおなじみですね。
「この墓石は、生前、自らが背負ってきたものといわれている」ってサラッと書いてありますが・・・結構大きいですよ、石(汗)

で、二時間ほど墓地を彷徨っていましたが、お目当ての久米部正親のお墓は見つからず・・・
今回も空振りか・・・と半ば諦めかけていたその時、目の先に見える墓石の形に見覚えが。もしやと思い近づいて、墓石をよく見てみると・・・

あ、あった!ありました!
久米部正親のお墓です!
Dsc00528

横には改名後の「猪野忠敬」の名が。
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ようやく本懐を果たせました(T_T)

正直、なんの手がかりもなしにこちらのお墓を見つけることは、非常に困難です。
なので、これからお参りに行く方のために、簡単な道案内を。

傑山寺の本堂から行くと見つけづらいので、道路側からアプローチ。
傑山寺と清林寺の間にある、この道を登っていきます。
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そして、突き当りを右の細い道の方に曲がります。
狭いので見落としに注意。
Dsc00543

ここまで来ると、遠くにお墓が見えてきます。
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(写真では、中央上部の白っぽく見えるお墓です。)
ここを左に曲がった後、すぐに右に曲がります。

いよいよラストスパート。
この竹垣の細い道を行った突き当りが、久米部正親のお墓です。
Dsc00539

大阪で生まれ、新選組隊士として動乱の幕末の京都を駆け抜け、戊辰戦争では会津などで奮戦した久米部が、なぜここ白石の地に眠っているのか・・・
そんな思いを抱きながら、墓石に手を合わせます。


【清林寺】
傑山寺から墓地の中を歩いていたら、知らず知らずのうちに清林寺まで来ていました。
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こちらのお寺は、真田家々臣・三井氏によって興された「真田幸村ゆかりの寺」です。
寺紋は「六文連銭」ですが、これは三井氏が真田家と縁戚になり、真田家と同じ家紋を用いることになったことに由来します。

境内にある三井氏の墓碑。
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ここからちょっと移動して市街地の方へ。
まずは延命寺へ。


【延命寺】
こちらの山門は、白石城の厩口門を移設したもの。
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なんとなく笑っているように見えて、愛嬌のある門です(笑)

内側から見たところ。
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こっちはシンプルですね。


【当信寺】
市役所の駐車場に車を移動して、徒歩で当信寺へ。
こちらの山門は、白石城の東口門を移設したもの。
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内側から見たところ。
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自転車置き場としても活用されています(笑)

[真田阿梅・大八の墓]
真田幸村の遺児である、大八と阿梅のお墓。
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阿梅のお墓にある如意輪観音像は、かつては削った石の粉を飲めば歯痛に効くといわれていたため、今ではすっかりやせ細ってしまいました(^_^;)

[白石老人の墓]
白石老人は、江戸時代初期に白石に住んでいた仙人のような人物と伝わります。
氏素性は謎に包まれていながらも、武芸をはじめあらゆることに精通していて、多くの人々に尊敬されていたとのこと。
一説には、甲州武田家の名のある武将だったのではともいわれています。
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その2に続きます。

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