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牡鹿半島の太平洋戦争遺構巡り(2)

ちょっと間が空きましたが、(1)の続きです。


【鮫浦】
石巻市鮫浦にある鮫浦湾。

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鮫浦漁港。

Dsc01274
谷川小学校跡より望む鮫浦湾。

「日本特攻艇戦史」によると、ここには震洋の基地が置かれ、11本の横穴が掘られたとのことです。
が、残念ながら遺跡の類は見つけられませんでした。
震災前ならまだ残っていたのでしょうか。


【観音寺】
石巻市鮎川浜にある観音寺。
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大戦中においては、漁船などの民間船も徴用されて軍事に携わりました。
特に捕鯨の町として栄えた旧・牡鹿町には、数多くの大型漁船を保有していたため、そのほとんどが戦地に赴きましたが、それに伴って乗組員や船の犠牲も多大なものとなりました。
観音寺境内にある「海尓眠る乃碑」は、戦没した捕鯨船乗組員を慰霊するために、昭和36年に大洋漁業株式会社により建立されました。
Dsc01205

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【御番所山防空監視哨舎跡】
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牡鹿半島の先端部にある御番所公園内に、江戸時代に仙台領内の海岸監視を行った鮎川浜唐船御番所の復元棟があります。
ここには、昭和16年12月に民間の「石巻防空監視隊第四監視哨」が置かれ、鮎川青年学校の生徒や青年団員らが、終戦時まで対空監視を行いました。

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御番所公園から望む金華山。
信仰の島として知られるこの場所には、明治時代から海軍望楼などが設置されていた金華山灯台があり、戦時中も女川防備隊の金華山特設見張所が置かれていました。
大戦末期にはここも攻撃対象とされ、「牡鹿町史」によると、昭和20年7月26日には米軍の潜水艦による砲撃により施設が被害を受け、灯台長が殉職されました。
また、同年7月17日から8月9日の間に、計4回の空襲を受けたとの記録があります。

余談ですが、平成23年3月11日の東日本大震災の時には、津波の前触れの引き潮により、牡鹿半島と金華山の間の海底が露出しました。
上の写真からは、とても想像がつきませんよね・・・

Dsc01241
御番所公園から望む網地島。
ここも、大戦末期に米軍の潜水艦による雷撃を受けました。
しかし、魚雷は浜の近くの岩礁に当り、被害はなかったとのことです。

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御番所公園の下、鮎川港にある「おしかホエールランド」跡。
津波の被害により施設は休業中ですが、捕鯨船「第十六利丸」はこの地に残っています。
この船は全長68m、排水量758トン。
旧海軍の艦艇と照らし合わせると、丙型・丁型海防艦と同じくらいの大きさですね。


【小淵】
Dsc01289
石巻市小淵の小淵漁港。
「牡鹿町史」によると、ここには「震洋」の配備が計画されていました。
また、「回天」「蛟龍」の配備も計画され、郡山海軍航空隊より約300名の兵が派遣され、付近の大原・給分浜・小渕に分散宿泊して壕の構築や食料自給のための開墾を行っていました。


【小網倉】
Dsc01291
東側より。

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小網倉漁港。

「牡鹿町史」によると、ここの逸平楽という地区に「回天」の配備が計画され、約300名の兵が壕の構築に当っていました。
壕の入口は縦横5メートルと大きなもので、終戦の日まで掘り続けられました。


【荻浜】
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明治時代、横浜-函館間に定期航路が運行され、その寄港地として繁栄した荻浜。
「牡鹿町史」によると、ここには「海龍」が配備され、後に野々浜に回航されたと記されています。


今回は、事前調査が足らなかったせいで、見逃した場所が結構ありました。
また機会を見つけて探索したいと思います。

そして、終戦の日からは少し過ぎてしまいましたが、あらためて黙祷。

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コメント

 片方には全面解除、なんかと言う当方には全面否定、
 片手落ち,もう閉鎖してはいかがですか?


    

どうか皆さんのご意見をお願いします。

  近藤


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    近藤

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  近藤

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