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一関市博物館企画展「葛西氏の興亡」

早いもので11月になりました。
今年も残すところあと二ヶ月をきりました。

相変わらず更新頻度が残念なことこの上ない当サイトなので、せめてここだけでもこまめに書いていこうと思って臨んだこの一年でしたが、結局この有様ですよ、えぇ。

というわけで、とりあえず何かアクションを起こさねばと思い、先日、一関市博物館に行ってきました。
お目当ては、現在行われている企画展「葛西氏の興亡」。

葛西氏といわれても、東北地方以外のお住まいの方にはあまりピンとこないかもしれません。
せいぜい「歴史SLGで、序盤に隣国の伊達氏か南部氏に攻め込まれて滅亡する、その他の大名」くらいのイメージだと思います。
しかし史実においては、現在の宮城県北東部から岩手県南部一帯を、鎌倉時代から戦国時代までの約400年間にわたって治めていた名家でした。
が、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったために領地は没収された上、その後の葛西・大崎一揆で旧家臣の多くが離散したため、残された資料はその功績に比して非常に少ないものとなっています。

今回の企画展では、葛西氏が奥州に領地を得てから、戦国時代に滅亡し、その後他家に士官した江戸時代までの様々な資料を展示しています。
葛西氏関係の資料が、これほどまとまって展示されているのを見るのは初めてです。
受付の方によると、岩手県内はもとより宮城県からの来館者も多いそうです。
お近くの葛西氏ファンの方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
企画展は11月3日までです。

っていうか、今日までかよ!
情報遅いよ!>自分

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今回の企画展のパンフレット。
威厳あふれる初代・清重さん。

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

私は現役を退いて74歳になり、老後僅かな人生を如何に過ごそうかと考えました。歴史に対する関心度はまったく無く何から始めようかと思っておりました。その中で幸いにしてインターネットの情報を借り、葛西の姓について発祥はと思いましてまず先に浅草のりについて、葛西のり、と名がついていた、現在の『白子のり』の事らしい。を見つけました。
 四年前の東北地震・津波被災された友人をみつけ漸く連絡とれホット致しました。友人は宮城登米市に住まいをしており出身が私と同じ道南なのです、彼は仕事上において学問もなく歴史だけが彼の生きがいだったと語っておりました。宮城・岩手を営業していると、歴史上の人物に必ず葛西氏の名が出てくると、私に知らせに参りました。
 被災の一年前から発祥は関東平氏族であること確認とれまして、葛西清重が初代の名をとり源頼朝を主君して東北に拠点を造り400年直轄の大名が継続・そして大崎氏との領地争いに決着したとき、伊達正宗が頭越しに豊臣との連絡となった。正宗は豊臣への不戦とあいなりその咎めを葛西家臣団にあたりました。領地・地位全て没収となり葛西家臣団は離散した。当の葛西家は北海道天塩国留萌郡三泊村にて鰊漁を営んでいた。 名が残る葛西嘉一郎であった

はじめまして、葛西様。
管理人の写楽斎と申します。

葛西一族は、改易後に帰農したり伊達家家臣となった他、北海道に渡った方もおられたのですね。
貴重な情報、ありがとうございます。

このブログは、サイト「酔牛庵(http://homepage1.nifty.com/akabeko/)」の一部となっております。
もしよろしければ、そちらの方もご覧ください。

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

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